「これからは若手を見てやってくれないか」
それは、代表として招集はするが、それはレギュラー要員としてではなく、若手を鍛えるためのコーチ的な役割を果たして欲しいということで、最悪の場合、本大会では代表をはずすこともありうるという意味だった。
嫌な夢だ。目が覚めたとき、いろんなことを妄想してしまった。自分にとって今大会が年齢的に最後であること。過去2度のワールドカップには実力がありながら出場できなかったことなどだ。
最初のワールドカップのときは怖い物知らずだった。ボランチでありながら積極的に攻撃に参加し、得点能力も高かった。しかし、組織として戦うことを優先したトルシエは、自由奔放な私のサッカーを嫌い、本大会直前に私を代表からはずした。
ジーコは私をピッチ上の監督として信頼していた。takaboのチームだとも言われていた。しかし、ドーハで行われたイラク戦で夢は途絶えた。私に股抜きをされた選手の後方からのハードタックルで負傷し、ついに本大会には出場できなかった。本大会でチームは一勝もできなかった。ジーコは私の名前こそ挙げなかったが、「ベストメンバーで戦えたら、少なくともベスト4まではいけただろう」と言ってくれた。
岡田監督に呼ばれる前の日、DFのトゥーリオと話し合った。「予選ではやらないが、本大会では、俺とおまえでワンツーをしながらせめあがろうぜ」、「やりましょう。takaboさん」とトゥーリオは快諾してくれた。しかし、それはもうできない。
・・・みたいなことを妄想した。私って、けっこう幸せな人間かも。